「死との協力体制」

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レナードの親しい友人が,母親の死にすっかり打ちのめされ、絶えられない苦痛デ苦しんでいた時,この友人はレナードに 「死はなぜこんなにも苦痛に溢れているのだろうか?」と問いかけました。そしてレナードは答えました。

死は痛みを伴う。なぜなら、わたしたちはわたしたちが知っている人生に執着しているからだ。わたしたちは愛する人に執着している。わたしたちは人々と所有物に執着している。わたしたちは日常生活の日課にさえも執着している。死はその終わりだ。そして、死の後にやってくるのは未知の世界への旅。わたしたちはごく普通に恐れる。私たちは未知の世界を恐れるから,自分自信のことを心配して、そして、愛する人達のことを心配する。

受胎よりも以前に君は存在していて、死後も引き続き存在するということを君が絶対的な確信を持って知っているならば,君は安心できるだろう。死はただの終焉ではなく、始まりであること。わたしたちが完全に「今,この瞬間」に目覚める時,ようやく私たちは,自身の存在の永遠性の本質を認識する。

死は恐れるべき何かではない。君が恐れるべきことは,人生を完全に生きないことだ。”

そしてレナードは続けました。「それぞれの瞬間に起きることは神の意志である。苦しみに身をゆだねるのではなく、人生で起きていることに身をゆだねなさい。それがたとえ,愛する人の死であっても。苦しみを生み出しているのは,起きていることを受け容れることへの君の拒絶だ。お母さんの死を受け容れ,お母さんが入っていった恩寵を受け容れている境地に君も加わっていれば、それは君にとっても喜びに満ちた出来事ともなったはずだ。」

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