マインドとハート  1

“イエスのメッセージで最も大切な教えは何かと聞かれれば、ハートが全てを支配するべきです,という教えでしょう。「あなたは愛なのです」と彼は何度も私に思い出させようとしたものです。それは最初のレッスンであり、何度も続いたレッスンでした。 それからその真実に立って,ハートがいかに重要であるかを説明してくれたのでした。”とグレンダは書き始めています。“マインド”の訳がなんであるかわかりません。“思考”と訳したら良いのかどうか?・・・・。なお 紫色の部分はイエスの直接の言葉で、紺色はグレンダの言葉です。

イエスのメッセージを次に書き出します。

“マインドはハートの悩みを相殺しようと積極的に働きかけます。あるいはハートの悩みを搾取しようとします。 しかしハートの悩みを取り除こうとか,治癒させようとすることはけっしてありません。 というのは,ハートの絶望はマインドが権力を奪う機会だからです。

マインド自体には力がないという事を理解し、しっかりとその理解を持ち続けなければなりません。マインドは体験を統合するか,体験から投影するかのいずれかです。 そうでなければ マインドはハートと魂の力に奉仕し、説明し,実行するための論理的なマトリックスを発達させます。

ハートが人生に対して,何かネガティブな指向性を持っていると深刻な問題が生じる可能性があります。何故なら,ハートがマインドに不十分、不安定,怖れ,怒りなどのネガティブな衝動を与えると,マインドは 論理らしきもので反応しますが、それは良い人生と逆方向に向かわせるものです。

内なるハートはその純粋性においては,快適な行動を教唆することはしません。しかし,ハートはそれが抱擁する全てのものの和をサポートします。 それには主として,生き残りを探求する肉体も含まれ、また自己と他者との共感的なつながりもふくまれます。共感的なつながりは 多くの場合,自分の者か,他者のものかの区別が困難です。 ハートは共感の思いを行使する事によって他者の苦痛や苦しみを混乱のあまり,自分のものとして受け入れる事が良くあります。そのような感情から ハートは罪悪感,悔恨、怖れ,悲しみを発達させる可能性があります。しかし,そのような不幸な状況は人生の間違った行為や 自己によって生じたものであり、ハートによって生じたものではありません。究極的な明晰性は魂にあります。『魂はありてある我』としての自分を知っているのです。ハートの力は肉体と魂とのつながりの中で修正されます。 これは 高遠な論理であり、マインドには考えることができないものです”

明日に続きます。SUMI

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